六三印刷設立〜本田技研工業参りの日々
昭和25年、中央区八丁堀に、島村義量(よしかず)とその息子達の憲二、誠八郎によって、戦争で中断されていた島村印刷所が再開業された。戦後の殺伐とした時代、印刷ブローカーに痛い目に遭わされることも多い。
「これじゃだめだ、直接取引先を開拓しよう」
そう営業に回ったひとつが、当時、東京駅八重洲口にあった本田技研工業様だった。20歳前半の誠八郎はここに日参した。
最初は仕事がもらえないから、行っても用事がないので、ゴミを拾ったり散らかっているものを片付けたり。
そのうち、名刺などわずかだが仕事がもらえるようになった。
「これじゃだめだ、直接取引先を開拓しよう」
そう営業に回ったひとつが、当時、東京駅八重洲口にあった本田技研工業様だった。20歳前半の誠八郎はここに日参した。
最初は仕事がもらえないから、行っても用事がないので、ゴミを拾ったり散らかっているものを片付けたり。
そのうち、名刺などわずかだが仕事がもらえるようになった。