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六三について
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Story
六三印刷物語

Hondaとともに半世紀

本田技研工業様とともに、苦難あり感動ありの半世紀。
本田宗一郎氏の感謝の言葉を忘れずに、これからも。

六三印刷設立〜本田技研工業参りの日々

昭和25年、中央区八丁堀に、島村義量(よしかず)とその息子達の憲二、誠八郎によって、戦争で中断されていた島村印刷所が再開業された。戦後の殺伐とした時代、印刷ブローカーに痛い目に遭わされることも多い。
「これじゃだめだ、直接取引先を開拓しよう」
そう営業に回ったひとつが、当時、東京駅八重洲口にあった本田技研工業様だった。20歳前半の誠八郎はここに日参した。
最初は仕事がもらえないから、行っても用事がないので、ゴミを拾ったり散らかっているものを片付けたり。
そのうち、名刺などわずかだが仕事がもらえるようになった。

「就業規則」製作で信用を得る

そういう日々がしばらく続き、ある日誠八郎は本田技研工業様の庶務課の人に呼び止められた。
「六三、これができるかい?」
出された仕事は、100ページほどの就業規則。労働組合との話し合いの日までに納品するのだが、10日しかない。当時の六三印刷としてはかなりキャパを超える仕事だったが、ようやく出されたこの大きな仕事を断るわけにはいかない。
「できます!」
勢い良く受けた。そして、徹夜徹夜で、なんとか納品した。これがひとつの信用となり、それからだんだん仕事が増えていったのであった。やがて、各製品の取扱説明書などかなり大きな仕事も任されるようになった。

仕事は増えるが、支払いが追いつかない

当時の本田技研工業様は伸びざかり。会社が、渦巻きが大きくなるごとく大きくなっていく時はたくさんの資金も必要だ。時には印刷会社などへの支払いも追いつかない。しかし六三は本田技研工業様の活気に引かれ、可能性を信じ、支払いが遅れても仕事を受け、誠実に対応してきた。
そうこうするうちに昭和31年、ドリーム号が大当たり。溜まっていた3年分の支払いはたちまち現金一括払いで清算された。
同時期、本田技研工業様による第一回協力会社招待が行われ、六三印刷も招かれた。こうして、本田技研工業様と六三印刷の信頼関係は培われていった。

今でも継承されている六三印刷製作のHondaグッズたち

本田技研工業様との取引のきっかけとなった就業規則は今でも六三印刷に発注されている仕事である。
また、本田技研工業様の会議でなくてはならないTHINKカード(机に立てる名札の裏面に各国の言葉で「考える」という単語が書かれている)もずっと六三印刷製。
現在、江東区潮見にある六三印刷本社玄関には、古い印刷機が飾られているが、その刷版はこのTHINKカードそのものだ。

拡販にも協力、感謝状をいただく

本田技研工業様が四輪車を扱うようになってから、六三印刷はその拡販に協力し、成果をあげた。3年連続でいただいた感謝状も大切な宝物のひとつであるといえよう。
島村会長の会長室には本田宗一郎氏直筆の「皆さんどうもありがとう」の色紙が掲げられている。これもまた、本田技研工業様とともに発展してきた六三印刷の尊い財産である。

六三グラフィックス設立〜WEB事業を推進

平成6年、本田技研工業様のSP制作などをメイン業務として設立されたのが六三グラフィックスである。Hondaを愛する気持ちはビジネスのみならず、純粋にHondaのチャレンジ精神や自由闊達な社風、Honda車の魅力に対するものにも熱い。その思いから、平成10年にホンダネットを立ち上げたのだ。
月間アクセス数は約27万件にも成長し、更にはHonda販売会社のホームページを累計で100社以上制作するに至る。
今後もHondaが好きな人達に向けて本田技研工業様とともに発展してきた六三グループはより一層、喜ばれる企画を提案していく。